第2章ピアノ雑感・・・・・・日々のピアノについて思う事


音楽をする喜び・・・・響きの世界に生きる


我々演奏家とよばれている存在は、いったいどのような使命をもっているのだろうか???と考えることがあります。ピアノを演奏するということで自分には何ができるのだろうか。人々に何を伝えることができるだろうか。1つ1つの音の持つ意味はとても深く、難解ですが、演奏しているときに無の境地にて奏でられる音は、まるで誰かに操られているかのごとく神聖なものであるように思います。演奏中に、そのようなことが少しでも感じることができれば、その演奏はどういう形であれ、素晴らしいのではないかなぁ。…と思うのです。演奏するということの本来の意味が、決して人との競争などから生まれることはないのではないかと、思えます。誰のために?何のために?そして、そこに存在する価値。我々再生する者の使命をもう一度考え直す必要があると実感しています。


ピアノを奏でる喜び・・・・ピアノという楽器を演奏していると、実に深いものがあると思います。たとえば音色。心の底から何かしらの感情を伴って演奏すると、本当になんともいえない素晴らしい音色になり、自分自身の感情にかなりの衝撃で飛び込んできます。そういう感覚を感じながら演奏すると、その演奏は最高の充実感とともに終えることができます。私自身、そういう経験は非常に少ないのですが、この経験が年齢とともに増えていくことを願いながら、毎回演奏会を迎えますが、そうそう自分の思い通りにはならないところが、かえって面白いところなんですが。


ピアノを奏でる喜び2・・・・・先日、とある田舎(といっても市ですが・・・・)での演奏会で演奏しました。広い敷地の一角に存在する音楽ホール、ちょうどよい大きさと響きが非常に豊かで、関心してしまったのですが、そこのピアノ。これまたあまり使っていないピアノで、最初はどうなることか、そして調律師の方ともども、頭を抱える感じでした。しかし、ピアノは復活!弾きこむごとになり始め、なんとか本番に間に合いました。でも、演奏者自身は非常に疲れてしまいましたが。。。でも、田舎ではこんなことしょっちゅうだし、日本だけにとどまらず、あの音楽の都のあるオーストリアの片田舎、クラーゲンフルトの町なんかで開催された音楽祭なんかのときは、もう耐え切れないくらい重い鍵盤に、自分の筋力の無さを実感したこともあるので、今回はまだましです。(こう見えてもラフマニノフのコンツェルトなんかを弾くのですが。。。。)


でも、鳴ってくれているという実感のわく演奏ができることは、非常な喜びが沸いてきます。たとえ、それが十分でなかったとしても、そこでやっただけの満足はいくわけで、一応納得。それにしても、もったいない。常時使えるような秘策を考えねば、県内のホールはこんな状態になり、宝の持ち腐れです。。。
少なくとも、多くの人々に弾いて実感、聞いて実感となって欲しい。そのためにはいくつかの完璧にする条件が必要となります。まず楽器の保持です。本物のオリジナルの、誰の手も加わっていない音質、そしていい演奏です。楽器の維持管理は主に地方都市ではそれができると地元の評価の高い人が行います。それはそれで大変すばらしいことだと思います。もしそれが本当にいい技術を持っていて、さらに本物の音質の調整方法に熟知している人であれば・・・・。しかし、それがそうでないときには、高価な楽器を壊しているとしたら、どうでしょうか。新品で入って何日も過ぎていない頃に「あれ?」と思うような楽器に変身していたとしたら。。。。そしてその維持管理をしている人が自分のせいではないというような意味を含む言葉、つまり「自分だけが専門に扱っていれば、こういうことは発生しないけど、色々な方が触るので、きっとその中のある調律師が壊してしまったんでしょうね・・・だから維持管理は専門の人一人にすべきなんですよ」とか「あるピアニストが変な注文を出してめちゃくちゃにしてしまった。。。。」そしてもっともらしい専門用語を並べて、知識の無い人に誤解を招くような言い方をしていたら、これは大変恐ろしいことだと思います。このようなことは決して日本国内にあってはならないと思うのですが、一部の力ない調律師の方々によって現実問題として残念ながら発生しているようです。
また演奏者は演奏者で、そのピアノをコントロールの仕方、方法を発見することすらできず、うまく鳴らせない。そしてだめなときは調律師のせいにする。。。これも現実には実に多くの場合で発生します。力量に乏しい演奏者ほど、そういうことを言い出します。神経質なのはわかります。そうでなければなりません!しかし、ピアノのよさを最高に引き出すのはピアニストの力が多くかかわるのです。だから、ピアニストはあらゆる場を経験し、その経験から奏法を見出さなければなりません。いつも同じ調律師、そしていつも同じ。。。これでは研究対象にすらならない事実を知るべきです。おろかな演奏家とおろかな調律師の出会いなんて誰も必要としていません。



恵まれない立地でも、多くの聴衆は本物を求めているのです。だからこそ、地元のピアノを調整している様々な方々は、演奏者とともに常にピアノのコンディションを考え、そのピアノにあった調律や調整、そして演奏法を協力し合って確立する必要があります。自信に満ち溢れた仕事をされている方ほど、影での勉強は多くしているものです。日常の忙しさにかまけて、そして自身の絶好のポジションに甘んじて知ったかぶりをする音楽家、調律師は無用だと思うのです。本物の音から程遠いスタインウェイのフルコンに出会うと本当に悲しくなります。ある都市でスタインウェイを多く扱っている調律師とこの点についておはなしをしたことがあります。彼の主張は、「上ものと楽器だけはいいものを作り、そろえるけど、メンテナンスは最悪だ。。。。」ということです。私が常日頃感じていることと共通点があります。そんな時に彼の一言が響きました。。。「何も知らない公務員と聴衆相手では、適当なことでも正当化されるんですよ。」「だれも本当のことを『それはうそだ!』とは言えないんです。」まったくそのとおりです。本当のことを知ってしまうと、妨害行為にすら遭うご時勢、音楽家の活動に技術士同士の争いとか有力調律師のエゴに巻き込まないで欲しいと願います。本当の音楽を聴く権利は、全国どこでも平等なんです。芸術の発展の一部の力になっているというのなら、どうぞ常に本物を追求してください。あれやこれやと言い訳や保身のための言葉を吐くのは止めて欲しいと思います。でなければ本物の芸術を開花させるチャンスはめぐってきません。。。。私の願い、それは常に探究心にあふれ、「できないことはできない」といえる、そして「どうすればいいのですか?わからないので教えてください」と素直に自分の技量のなさをさらけ出し、正直に本当の音楽のために努力できる人々であふれて欲しいということです。たとえば、スタインウェイを扱うには、その技術をスタインウェイの専門のマイスターから学ばなければなりません。想像だけでしてはいけないのです。条件は田舎に行くほど難しいでしょう。でも本物を維持するためには必要なことです。早く日本国内にあるすべてのいい楽器が本物の維持管理を受けられるよう、祈るのみです。


あとがき

あれやこれや書いています。またピアノについて知識を授けてくださった多くの方に感謝します。ここに掲載することはあくまで一個人的な考え方で、受け取り方も様々でしょう。でも、悪意はありません。思いのままに書きましたので、色々な意味で感じる方もいるかもしれませんが、私個人の意見ですので、そのことを了承の上、お読みいただきたいと思います。また筆者に無断で引用掲載・転載することは固くお断りいたします。もし、発見した場合には、法的な手段をとらせていただきます。