第2章ピアノ雑感・・・・・・日々のピアノについて思う事


1)音の発生の差
2)調律での変化
3)日本の調律
4)響きの教育の大切さ


音の発生・・・・最近色々な所で色々なピアノを弾く機会があり、どのピアノも「その楽器の持つ最高の音色で」と思い演奏するのですが、演奏家という立場で考える時に、日本のピアノと海外のピアノでは、音の発生に差があると思います。乾燥した地域でのピアノの響きは最高にいいです。遠くに広がりを持って届く感じがします。国内のピアノは、よく響くピアノであっても、なにか重たい雰囲気がします。原因は色々ありますが、@気候と風土 A部屋の状態 B調律の仕方 など様々です。@の解決法は室内に除湿機を置けば大抵は効果が出てくると思います。Aは天井が高いとか色々ですが、自由にできるのであれば、これも解決です。問題はBです。調律は私の専門ではありません。でも、調律師によってピアノは生かすも殺すも簡単です。


調律・・・・・これはピアノに命を与える大切な仕事です。だからこそ、演奏家は皆、調律師にものすごく信頼を寄せると思います。私の好きなピアノのタイプは、ずばり!「弱音の音足の長いピアノで、響きにバランスがあり、指先にアクションに適度な抵抗感があり、微妙なタッチ調性が可能な楽器」です。これは、どの音量でも発生の瞬間からなり終わるまで、できるだけ色々な音や雑音を含みながら太く豊な音色と響きで鳴るピアノです。ぼくの演奏法は瞬間の音だけでなく、なっている間全てが勝負です。ですから、様々な音の響きが共鳴しあう瞬間が必要なのです。調律で単音のみの合わせ方ではもう、ピアノはピッチだけが合った物になると固い音色になり、和音が絶妙な混濁で鳴らず、私の好みとは違ってきます。逆に、いろいろな雑音まで含めて、多声(和音)の響きも合わせたものは、ピアノが豊になると考えるのです。本番の最初のほうより終わりの方が音のなりがいいと感じるのもそれが原因かと思います。もちろん、楽器に慣れるという事もありますが。


日本の調律・・・・・前置きとして最近はそうでもないのですが、一時期すごく感じていた事がります。日本で弾くピアノは、ピッチはものすごく正確なのに、単独の響き(というより、1つ1つの音が混ざり合わず、一本調子のような・・・・)で乾燥した冷たい印象を感じていたのは、私だけでしょうか?曲を弾いても、メロディとハーモニーとベースがうまく絡み合わず、全て別々に聞こえてくるのです。調和がないというか、アンバランスというか・・・。ピアノは低音から高音まで、様々な長さの種類の違う弦が張ってありますから、音質が違ってくるのは仕方ないのかもしれませんが、バランスよく鳴るピアノは、「響く」という環境をなかなかつくりにくい日本の風土において、最も必要とされているのではないかと、常々感じます。だからこそ、調律も瞬間の響きに留まらず、音足の長い響きの最後までを感覚に含めて調整できれば、最高にしあわせです。最近は楽器の改良もすすみ、この点を指摘する演奏家が増えたこともあると思いますが、ずいぶん変化してきました。


響きの教育の大切さ・・・耳の良い人とは?音楽的に・・・とか、感性のゆたかな・・・とか言う言葉を良く聞きますが、ピアニストとして音楽を人々に提供するときに一番大切なのは「響き」であると思います。ただ単なる「響き」ではなく、良質の音色で、どの音量でもどの音質でも心地よく心に響く音色・・・・・。理想は高いですが、一般に音色には人に快感や好感を与えるものと嫌悪感を与えるものとあると思うのです。これらの持って生まれた音色を作るには、実は練習時に使用するピアノとの関わりが重要であると考えます。ピアノ自体に色々な音色を創り出すことのできる可能性がある楽器で練習する方は、多彩な音色を表現する事ができる場合が多いと思います。響きの教育は、幼児期から始めないと、なかなか難しいです。


第2章ピアノ雑感・・・・・・日々のピアノについて思う事


5)本来のカンタービレ奏法とは?


ピアノでカンタービレ奏法をするには何が必要だと思いますか?まず、ピアノにカンタービレの要素があるかどうか・・・・・。これは、とても重要なことです。例えば、私は同じプログラムで日本とヨーロッパの違う国での演奏会で演奏するときに常に思うことは、ピアノ自体の持っている響きが違うことです。「音足の長さ」のほかに、気候風土からくる「自然な共鳴」さらには、楽器自体の共鳴度の違いなどなど、これら全てが混ざり合うと、演奏に差が出てきます。日本はどちらかというと、「ストレート」タイプ。ヨーロッパは「カーブやスライダー」といった感じでしょうか。音色に変化があるのはだんぜんヨーロッパです。また、響きが豊かな場合でも、共鳴が安定する時間に大きな差がある場合もあり、フレーズの作り方や間合いが違ってくるし、レガートの奏法も異なってきます。響きは楽器自体も関係だけでなく、会場のひびき、レアな時と満席の時の響きの違いもありますし、計算通りにはいきません。しかし、間合いは耳で勝負ですし、結果、楽器の反応がするどければ、かなり良い結果を期待できます。


ピアノでカンタービレ奏法をするには・・・・・どういうことかというと、音が響くときに、発声の瞬間から響き終わるまでの間の響きが大きく太く長い場合には、カンタービレ奏法を容易にすることができます。日本では、打鍵の瞬間は大きいのですが、その後の鳴りに無理があることが多いと思います。有名なホールを除いて、多目的ホールや大学のレッスン室、ピアノの先生宅の響きのあまりない場合や、自宅の環境にもよりますが、多くの場合は音の持続がままならず、減衰が速かったり、瞬間的な響きがかなり強く、その後の伸びがなかったり。普段生活の中でそのような音色や鳴りの楽器に触れていると、立派な残響を持ったホールや外国での演奏になると、その響きをうまく捉えるのに日本人である我々は必ず苦労するのです。もっともヨーロッパが完璧かというとそうではないということも言えます。また、浴室のごとく王宮の間などのように、カラオケのエコーのように響く場所でも苦労は逆の面で多いものですが、響きを抑えることは比較的容易にできますが、響きを出すことはなかなか難しいものです。大は小を兼ねるとでももうしましょうか。(私もこの経験者の一人です。)また、この点でのバランスのとり方は個人差がありますが、これは幼少のころよりの響きに対する感覚の差も影響していると思います。避けられない事実ということでしょうか。しかし、この残響ともいえる響きを自分の耳で捉えることができれば、カンタービレの域に達すると思います。そして本物のピアノでのレガートとは何なのかが理解できると思います。


ピアノでカンタービレ奏法をする上でのタッチは・・・・・一般にカンタービレで聞こえる感覚を考えると、レガートが思い浮ぶと思いますが、私の考えでは、ノンレガート、スタカートでもカンタービレの音色はあるように思います。レガートの場合、音と音の重なる部分が多ければ多いほど、カンタービレにはならず、雑音が多くなるように思います。微妙なタイミングとすべてにおいて共通するタッチは、自然の重力で落ちるタッチとでも言いましょうか。要するに人工的な力をかけない、腕の重みがすべて伝わるようなタッチで演奏すると、実に音色が豊かで、広く重厚な立ち上がりの音色が出てきます。特にこのタッチは、私の経験からはどのピアノでもよい音色を生み出す効果があるように思います。手首に余計な比重をかけず、指は落ち葉をかくときに使う掃除用具のごとく均等に指に配分され、姿勢は背筋をまっすぐ、頭の重さを指に伝えないこと、そして前後左右の余計な動きをことごとく排除し、冷静な頭のコントロールが効くように配慮する。これを無意識でできると良い感じになるんですが、口で言うのは簡単でも実行は難しいです。また、カンタービレに演奏するためには、指の機能にあった合理的な指使いも考えなければなりません。指には様々な根本的素養があり、その素養に合わないといつも微妙なコントロールを人工的にしていかなければならず、俗に言う「練習で勝ち得る」的に弾き方になってしまいがちです。そうなると、自然な響き(カンタービレの音色)が出てきません。



ピアノでカンタービ奏法をするには・・・・例えば、モーツァルトのピアノ曲のカンタービレ。16分音符の早いパッセージをカンタービレで演奏するには、比較的指を立てた状態で、腕の重みを少しかけ、指が素直に鍵盤の深さ分である約10ミリの動きで底に着地するようなタッチにすると、素晴らしいカンタービレの音色ができるように思います。このとき、指先が細い人は指を立てるより、ほんの少しだけ寝かせてあたる面を大きくする方がより効果的ではないかと思います。要するに、指先の多くの部分が鍵盤にあたるのがベストということです。ただし、余計な力が入ると、途端に音色はやわらかいものから鋭くきついものに変化してしまうでしょう。モーツァルトの音色は、後の作曲家たちの多く求められるカンタービレやドルチェ・エスプレッシーヴォといった表現に必要であり、役立つことと思います。でも実際はバッハの時に要求される様々な音色が全ての基本であると思いますので、バッハは是非時間をかけて研究しなければなりませんし、その後の作曲家たちの多くの作品を演奏する際には、その色々な音色が実に何通りものも素晴らしい表現につながるのです。そして聞き手にも、その意思が自然と伝わります。






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