第2章ピアノ雑感・・・・・・日々のピアノについて思う事


6)日本のピアノと日本以外のピアノについて・・・・響きの違いは?


日本のピアノと外国製のピアノ、それぞれには特有の響きがあると思います。ものすごくピアノに適した環境にそれぞれのピアノを並べてみると、歴然としたことに、響きの厚さとでもいいましょうか、ボリュームと複雑な音質が見事に絡み合うのは圧倒的に外国製(それもヨーロッパ系)が多いと思います。それに対して、日本のピアノは、音質が音域すべてにわたり統一感があると申しましょうか、日本人の個性とでもいいましょうか、多色という感覚にはないような気がします。それぞれのブランドで特有の音色と音質をもちながら、一方は異文化合体型、もう一方は単一民族型というといいかもしれません。ただ、たとえばピアノに合った良い環境に置くと、日本のピアノもすばらしい音が鳴ることがあります。ヨーロッパのように、楽器に適した環境の日本製のピアノはそれなりにすばらしくなることが多々あるのです。


日本製のピアノに感じるもの・・・・・音色とか音量については、国産ピアノも目覚ましい進化があります。特にヤマハのCFX(1995万円です!)やカワイのSK-EX(1627.5万円)など、かなり良い楽器が出てきたことは我々日本人の誇りとも言えると思います。最近の目立ったピアノでは、シゲル・カワイのピアノは好印象でした。とくに7タイプのピアノと5タイプのピアノはいいなと感じました。音質の向上はめざましいものがあるし、タッチの反応は、いいものがありました。またヤマハのS6というピアノは、物によるのですが、いい印象があります。(ピアノプレーヤーのついたものは、自分の弾いた限りにおいて、いい印象がありません。)また、CFV−Sはかなりいいピアノだと思います。ただし、これらの国産ピアノに共通して感じることは、楽器自体の鳴りがぜんぜん別に感覚に感じること。特に側板や大屋根、フレームなどから伝わる響きが固く、鍵盤から伝わる振動も、ステージ床やペダルなどを通して足先に伝わる振動も大きな違いがあり、鳴りが大きく違うように感じてしまいます。とくに、同じ店舗内に置いてある国産楽器と主にヨーロッパ産楽器を身近に弾き比べる機会があった時には、歴然とその差がわかります。響きの単純さと音質の固さ、音足の短さが顕著です。そして同じ曲を同じタイミングで演奏するとき、これらのピアノで弾き比べると、間が持てない部分が出てくるときがあり、結果的にテンポを速めないといけない状況になるときがあります。もしかすると、昔よく言われていた「日本人の感情を伴わない指の完璧な機械的運動奏法」と皮肉と共に例えられたことはここから来ているのかもしれません。


日本製のピアノに感じるもの・・・・・・外国製の材料が豊かで多くの職人によって丁寧に制作された、恵まれたいい時期に作られたものなどは、音足が長く、表現の可能性がものすごく深くて広いのです。しかし、国産のピアノは逆に焦って次のフレーズに入らなければ間が持てないときがかなり多いです。これは、表現の究極の部分に突き進むことができないという結果になります。そしてこの問題は意外にに深刻です。普段弾いているピアノは、響かない部屋で音足の短いもの、そして音色・音量に限度があり、手に負担をかけながら、想像の世界で弾く場合がほとんどだと思います。曲を仕上げるときに、このような状態だと、本番の雰囲気を作るのが難しくなります。また、逆にかなり響く共鳴の多いピアノのときには音の整理ができず、雑然とし、汚い音色とか、ペダルに問題アリなどと言われることも最近では多いです。でも実際は、鳴っている音の重なりが不協和であることが原因で、耳で弾くことに長けた場合は両者ともバランスが自然ととれ、さほど問題ではないので、実際は個々のソルフェージュの力がいかに大切かを問われることがしばしばでしょうか。


最近のピアノに感じるもの・・・・楽器自体の鳴りに多くの差があること。これは例えばホールで弾いたときにも、レッスン室で弾いた時にもいつも感じることです。日本国内での響きの豊かなホール、多目的ホール、湿度の高いホール、ヨーロッパのホール、国内外での大学のレッスン室、練習室、自宅のレッスン室、どの空間でも、その響きとでもいいましょうか、残響とでもいいましょうか、そういうものとは関係のないところで、楽器自体の響きがどれだけその空間を保つことができるか、とてもおもしろい経験を良くします。空白の時間というのはなかなか重要な位置を占めています。また、ペダリングにも影響します。確かにここ数年で国産ピアノはめざましい発展を遂げました。しかし、圧倒的に勝てない部分がここだと思います。これは、国産限らず、材料を選べない、マイスターが関わっていない外国製にもいえることです。残念ながら、技術の発達と共に、感性に答える部分は減少していると思うのです。環境に左右されるのは生き物であるピアノですから、当たり前のごとく良い環境での本領発揮といくわけですが、実際多くのピアニストはその場に用意された楽器に短時間で慣れて奏でるという過酷な試練が待ち受けているのが常です。ですから、どういう鳴りの楽器でも比較的その楽器の良さを出せる奏法の習得と、良い耳、感性をそだてること、そして楽器の素養を理解する力が大切です。文句を言えば楽器はそっぽを向くし、愛せば自分に味方をしてくれる!そんな関係を作るべきだと思うのです。その際に鳴らない楽器はたたくように強いタッチにしなさいという強要は、その人の運動機能を壊す危険があり、アクシデントが多く発生することも念頭にいれなけれなならないと思います。ピアニストとして私は幸いにも大きな故障をすることは一度も経験していません。(昔、ふざけて骨折したことはありますが・・・)しかし、指導者として多くの方々を教えているときに、多くの奏法の問題を抱えた方に頻繁に出会います。その際に、本来の弾き方や自然な演奏法にもちびくとその症状は軽減、もしくは無くなることを経験しています。だから、普段の練習時から「響きの豊かな、鳴りの豊かな楽器」で弾いて欲しいと常に思います。


日本製のピアノに感じるもの・・・・・外国製のピアノでもいい時期にいい材料を吟味していい技術の結集で作られたものは、楽器のいたるところがなっています。例えば、フレームですが、こぶしで叩いてみると「ゴーン」という鐘の音のような響きがあります。また大屋根も軽くていい木を使っているので、響きの伝達がいいです。足もペダルから感じる振動も、すべてが音そのものと雑音と倍音とバランスよく絡み合い、スクリューのように太くて厚い響き、なっている時間」が多く、安定した響きになるように思うのです。低音部分だけでなく、一番鳴りにくい部分でもこれは共通して鳴ります。ですから、こういうピアノで普段練習されている方の耳は、大変良いです。音楽の作りもスケールの大きいものになる場合が多いです。



第2章ピアノ雑感・・・・・・日々のピアノについて思う事


7)ピアニストは、楽器を選べない


7)ピアニストは、楽器を選べない@・・・・今まで、世界各地、色々な会場でピアノを弾いて来ましたが、ピアニストは演奏会のときに納得する楽器を選ぶことが容易ではありません。とあるホールにヤマハのCFVSが入っていて、そのホールで演奏したのですが、楽器自体は良い性格のものでしたが、調整は納入の時に1回のみ・・・・なんてことは良くあるのです。特に我が国日本は、器(ホール)と楽器は諸外国より充実していますが、その維持はなかなか難しく、地方のホールは、その多くが悲惨な状況だと思います。そして最近では多くの地方の調律師さんも、この現状を嘆いておられます。「経費削減=芸術文化項目の削減」なんて、日本では当たり前ですが、実はこういう分野の経費の削減は、結果的にその国土の安定発展は望まれず、将来の国を背負って立つ宝である子供たちに、もっとも害を及ぼすことを政治家は認識しなければならないと思います。現在でも全国各地に点在する多くの演奏会場では、有名な演奏家が来たときだけ、中央から良い腕を持った調律師が赴いて、その場しのぎの調整をなんてことは、日常茶飯事です。では、どのようにすれば、少しでも納得のいく演奏になるのか?


ピアニストは楽器をえらべないA・・・・・それは、自分の感性とテクニックをピアノに近づけることです。どのピアノでも、必ず「良い音質」を含む部分があります。表現能力の限界に気をとられすぎると、ピアノは鳴ってはくれないと思うのです。楽器にとって、愛情を注いだ演奏は、たとえそれがどんなにおもちゃのようなピアノでも、鳴りは必ず違うはずです。ですから、無理に鳴らすのではなく、そんなときこそ体の余計な力を抜き、リラックスして演奏するといいと思います。先日も、ホール自体の響きがあまりよいとはいえない場所で何度も演奏会をしましたが、ドビュッシーなどのように、幻想的な響きのする曲を弾くときにも、ごく自然にその楽器の良さを理解して、無理のない演奏をした場合は、必ずと言ってよいほど、聴衆の反応はプラスでしたし、時には調律の方と良く相談して、たとえば、鳴りが明るくなるような音程間の広い調整をし、ピアニストはペダリングとハーモニーのバランスを微調整しながら演奏に望み、聴衆に、そのホールや楽器の悪いイメージではなく、良いイメージをあたえることが少しできました。要は楽器と調律師、そしてピアニストの3点が均等配分でバランスを保てた時に初めて、素晴らしい調和(ハーモニー)が奏でられるということです。


ピアニストは楽器を選べないB・・・・・演奏するときにいつも思うことがあります。「あ〜!ここの音、もう少しこういう音色がもう少しなんとかでるといいな」これは、我が家にある楽器で演奏会前の最終調整をするときに求めることのできた音色が、どうタッチを変えても出ないときに思います。あと少し。。。。似たような音色にすることは容易にできますが、そのものズバリ!というようなものは少ないです。だから、信頼のおける調律師さんの力が、必要になります。幸い、私がお願いする方は、そのことをうまく解決してくださる方なので、自分は幸せなほうだと思います。でも、人は欲張りですから、次々に欲望は出てきます。そしてそれが次に奏でるときの原動力になるのだとも思います。素晴らしい演奏とは、その人にとって感動的な楽器た人々との出会いであり、その楽器はそれぞれの個性をそれぞれの好みが存在するところがいいのです。ですから、自分を信じて多くの方々が素晴らしい音色で、音楽をする喜びを感じてもらえるとうれしく思います。個人的な考えの文章になりましたが、感じたまま、そして3000台以上のこれまでであったパートナーである楽器たちに感謝しながら、この文を締めくくりたいと思います。
(2011年6月19日加筆)






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